愛宕山城跡
あたごやまじょうあと(Atagoyama Castle Ruins)
【C-ME130】探訪日:2024/10.22・10.31
三重県桑名市矢田245
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、矢田周辺を本拠としていた土豪・矢田市郎左衛門の居城とされ、室町時代の15世紀末から16世紀初頭にかけて築かれた。廃城については2説あり、織田信長の伊勢侵攻の際に矢田氏は信長に降り廃城となった説と、1573(天正元)年の第2次長島攻めの後に矢田城に入った瀧川一益が城を堅固にするために北東に愛宕山城(矢田北辺城)を築いたが、翌1574(天正2)年には長島城に移ったため矢田城,愛宕山城は廃城になったとする説である。後者は発掘調査での出土品から裏付けられる。
城は発掘調査範囲の都合ではっきりしない点もあるが、南北に長い平坦面で、東側は2郭、北側の3郭が堀を隔てて配されていたと考えられる。主郭には北と西の一部にはL字型に屈曲する土塁が構築され、同じく北と西にL字状に空堀が巡る。堀断面は逆台形となるいわゆる箱堀であることが確認されている。また、東と南は急峻な切岸状の崖となっている。
ただ、現在は住宅地として整地されてしまい、遺構は残されていない。2024年秋には第2次発掘調査が行われている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 15世紀末から16世紀初頭 | 1573年・1574年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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矢田市郎左衛門 | **** | 瀧川一益 | KI43 |
訪れたときには第2次発掘調査中で、発掘現場も見させていただいたが、写真掲載は調査報告書が発行されるまではNGということで内部が見えない写真のみを載せた。なお、下記の第1次発掘調査報告書の場所の上には現在住宅が建っている。
愛宕山城発掘写真(『愛宕山城跡発掘調査報告書~2006 桑名市教育委員会』を編集)