野尻城跡
のじりじょうあと(Nojiri Castle Ruins)
【C-ME128】探訪日:2024/10.22
三重県いなべ市藤原町西野尻字南谷
【MAP】
〔駐車場所〕県道614号沿いの唯照寺の駐車場に駐車させていただく。
築城年は定かではないが、文治年間(1186~89年)に輪田右馬允が居城し、のちに白瀬庄司が入り6代にわたって領したとされる。さらに、そののち、日置大膳・日向および塩谷兵部あるいは西野左馬助らが居城したという。なお、野尻城はもう一ヶ所、字西野にあったとされ、永享年間(1429~41年)に北畠教具に仕えた西野佐馬允から3代にわたって近郷を領したとされるが、1569(永禄12)年に織田信長に降り、1583(天正11)年には羽柴秀吉に滅ぼされた。
前記の野尻城は丘陵頂部に三方を土塁に囲まれた40ⅿ×46ⅿの主郭を築き、土塁のない南西側に虎口を開くが、主郭へはその前に築かれている長さ8ⅿの土塁を迂回しないと入れない。城跡の西側はかなり大きな谷となっており、北側は自然崖である。なお、東側については三岐鉄道により破壊されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 戦国時代 |
---|---|---|
関連年号 | 1186~89年 |
1569年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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輪田右馬允 | **** | 白瀬庄司 | **** | 日置大膳 | **** |
日置日向 | **** | 塩谷兵部 | **** | 西野左馬助 | **** |
事前ネット情報では”猿が出る”とあり、遠景の撮影だけにしようかと考えたが、近くまで来るとやはり登ってみたくなる。近くの唯照寺の駐車場に駐車させていただき、野尻城跡へ向かおうとすると、隣の飲食店の女性に声を掛けられ、「城跡へ行くんですか、猿とマムシと蜂には注意してくださいね。昨日も漁師の方が鉄砲を撃つ音が聞こえましたよ。猿とは目を合わさなければ大丈夫だと思いますけど」と言われた。やはり出るんだ、でも行こう!防獣柵を開けて進むと、ハンティング・クラブの小屋が見えてくる。ここから山に入る。鈴付のスティックで故意に鈴を鳴らしながら登り、何とか猿には出会うことなく探訪することができたが、緊張の連続であった(野生の猿には柚井城跡で出くわしたことがある)。
野尻城縄張図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)