白瀬城跡

しらせじょうあと(Shirase Castle Ruins)

【C-ME119】探訪日:2024/9.6・10.2

【C-ME119】白瀬城跡 三重県いなべ市藤原町本郷

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME119】白瀬城跡

   築城年代は定かではないが、当初は白瀬氏代々の城であったが、永禄年間(1558~70年)には近藤弾正左衛門吉綱の居城となった。しかし、1561(永禄4)年、治田城主・治田山城守によって攻められ落城、吉綱は討死したという。
 城は、員弁川とその支流の間を細長く東西に伸びた丘陵に築かれている。北西端と南東端を堀切で区画し、北西側の最も面積の広い曲輪が主郭で南西側を除く三方に土塁を設け、北側には櫓台がある。虎口は2ヶ所に開く。南西側は断崖絶壁である。西側の虎口下方にはかざし土塁があり、その東側が3郭、その北東下方が4郭となっている。主郭の東側の虎口あるいは4郭から現在は鉄塔が建つ2郭に通じている。2郭の東側は堀切を挟んで5郭となるが、2郭南端の土橋でつながっている。さらに堀切を挟んで6郭があるが、ここも南端に土橋がかかる。また、6郭の南側斜面には近藤弾正吉綱の墓が立っている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号

1558~70年・1561年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
白瀬氏 **** 近藤吉綱 F*** 治田山城守 ****

 

【C-ME119】白瀬城跡
 1回目の探訪はGoogleマップの「白瀬城跡」をめざし道路北側から湿地を渡りアプローチしたが、「白瀬城跡」に到達してもそれらしき遺構はみられなかった。2回目は関連サイトの情報と縄張り図を頼りに鉄塔の南側からアプローチ。側道を歩き進むと、やがて水路を渡る橋に出、そこから斜面を登る。1分もせず近藤吉綱の墓が現れ、その右に(東側)にしっかりした堀切が見えたので、ここが城跡の南西端だと確認できた。あとは縄張り図通りに見学・撮影したが(概要文とは逆ルート)、主郭でスマホの位置情報を確認すると、Googleマップの「白瀬城跡」とは大きく東にずれているのがわかった。1回目の探訪は主郭から大きく外れた西側の尾根を歩き回っていたようである。Googleマップの「白瀬城跡」の位置は情報修正をしておいた。

 

【C-ME119】白瀬城跡

 

白瀬城縄張り図(「城郭放浪記」の縄張り図に加筆)

【C-ME119】白瀬城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

側道に入り、城跡の南側へ しばらく水路が続き入山できないが、そのまま進む 橋に出る(近藤吉綱の墓の南にあたる) 近藤吉綱の墓と右に南東端の堀切 近藤弾正吉綱の墓 南東端の堀切 南東端の堀切 南東端の堀切 6郭 6郭 6郭 6郭 井戸跡? 6郭西側の高み 6郭から5郭へ 5郭と6郭の間の堀切 5郭と6郭の間の堀切 5郭と6郭の間の堀切 5郭 5郭 5郭から2郭側を見る(鉄塔の脚が見える) 5郭と2郭の間の堀切 5郭と2郭の間の堀切 5郭から2郭へ 5郭を見下ろす 2郭 2郭 2郭 2郭 2郭 2郭 4郭 4郭 4郭から3郭方向を見上げる 3郭 かざし土塁 西虎口から見たかざし土塁 西虎口から登ったところ 2郭から主郭に入ったところ 主郭 主郭 東の虎口 東の虎口 主郭 主郭の井戸跡? 主郭西側は少し高くなっている 主郭西側の土塁 主郭西側の土塁 南側は断崖絶壁 主郭の櫓台 北西端の堀切(主郭上から見る) 北西端の堀切(堀底) 北西端の堀切 北西端の堀切の南端(断崖絶壁)