治田城跡
はったじょうあと(Hatta Castle Ruins)
【C-ME111】探訪日:2023/4.4
三重県いなべ市北勢町奥村
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、治田五兵衛によって築かれたとされる。その子の治田山城守の時代には白瀬城主・近藤弾正左衛門吉綱を滅ぼすなど勢力を拡大した。一説に永禄年間(1558〜70年)には楠正成8代の孫という楠七郎左衛門正具の居城であったともいう。1567(永禄10)年、織田方の滝川一益によって攻められた際は持ちこたえたが、天正年間(1573〜92年)前半には織田信長に降った。
城は標高170m,比高60mの城山の山頂から中腹にかけて三段に削平して築かれている。主郭は西の頂部にあり、規模は東西約130m×南北約150mで西端に櫓台がある。背後の西尾根とは堀切で遮断されている。主郭の南側には土塁で囲まれた腰曲輪、東に一段(東郭)、北側にも一段(北郭)の削平地がある。
【史跡規模】 |
【指 定】いなべ市指定史跡(2003年3月3日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 |
1558〜70年・1567年・ 1573〜82年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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治田五兵衛 | **** | 治田山城守 | **** | 近藤吉綱 | **** |
楠 正具 | TB21 | 滝川一益 | KI43 | 織田信長 | OD04 |
治田城縄張図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)