丹生川上城跡
にゅうがわかみじょうあと(Nyugawakami Castle Ruins)
【C-ME112】探訪日:2023/4.4・2024/9.26
三重県いなべ市大安町丹生川上
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、14世紀半ばに創建されたと考えられる正法寺は、やがて城郭寺院となり、東の山頂にある詰城と合わせて丹生川上城跡としている。以前より丹生川上城の存在は知られていたが、所在については不明であった。1982(昭和57)年8月、国道306号の道路造成工事で発見された遺構から、その所在地が判明した。遺構は12世紀初から16世紀中頃のものとされる。城主は不明であるが、最終期(戦国時代)には、この地域が一向宗であったことから願證寺からの一向宗徒残党が立て籠り、織田信長によって攻め滅ぼされたとの地域伝承が残されている。
城跡の主要な郭は道路造成工事で消滅しているが、南北280m,東西220mと大規模であったとされる。国道の東側には空堀や土塁が施された正法寺跡の遺構がみられ、また道路西側の山頂(標高181m,比高70m)には主郭と2つの腰曲輪から成る詰城跡が確認されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 |
1574年? |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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織田信長 | OD04 |
国道東側の遺構へは容易に入れたが、西の詰城への登り口がなかなか見つからず、道路沿いに擁壁の切れ目をようやく見つけ(雑草が生えていなければわかりやすかっただろうが)、雑草をかき分けそこから斜面を直登してみた。そのうち登り道らしき個所は見えたが、前方15mほどのところを黒い獣?(正体確認できず)がサッと横切ったので、マズイと思い、登ったきた斜面を一旦引き返すことにした。しかし、諦めきれず、さらに国道を北へ歩いていくと、真正寺の道路を挟んだ西側(「伊藤才一郎の碑」と説明板が立つ)に道があり、ここを進んで途中で南下できないかと行ってみることにした。途中までだが舗装された道だったので少し安心感もあった。200mほど行くと丹生川上配水池の青い建物があり、その横からなだらかな斜面を登ると容易に詰城跡へ達することができた。戦国時代の道は、当然、詰城の東に付けられていたのだろう。
丹生川上城縄張図(『丹生川上城跡発掘調在報告 1985.3 三重県教育委員会』を参考に編集)