小笠原氏清墓所〔了教寺〕
おがさわらうじきよ ぼしょ〔りょうきょうじ〕(Grave of Ujikiyo Ogasawara [Ryokyo-ji Temple])
【K-SZ052】探訪日:2024/6.11
静岡県袋井市浅名1342
【MAP】
〔駐車場所〕
1569(永禄12)年、享年41で病死した馬伏塚城,高天神城城主の小笠原氏清(氏興)の墓所である。馬伏塚城跡の了教寺にある。 信濃守護・小笠原長時の従兄弟である小笠原春義の息子で、高天神小笠原家の当主。当初は今川義元に仕えていたが、義元が桶狭間の戦いで戦死すると、今川氏真を見限り、1569(永禄12)年1月には、弟の清広,義頼と共に、徳川家康に内応して主君・氏真が籠城する掛川城を袋井方面から攻撃し戦功を挙げた。その後も家康に仕えたが、同年6月11日に馬伏塚城にて病死した。 後日、家康が鷹狩りで氏清の墓前を通ったときには、「忠功ノ者」の墓所とあると下馬したという。
【史跡規模】
【指 定】
【国 宝】
【国重文】
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