清水寺
きよみずでら(Kiyomizu-dera Temple)
【T-GF014】探訪日:2024/5.18
岐阜県加茂郡富加町加治田985 <📲:0574-54-3134>
【MAP】
〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。
寺所蔵の『白華山清水寺縁起』によれば、808(大同3)年、京都東山の音羽山清水寺と同じく、延鎮が開山、坂上田村麻呂を開基として創建されたと伝わる。加治田城がある加治田山の山麓にあり、全国で唯一、開山・開基・寺号が、京都の清水寺と同じ古刹である。当初は真言宗に属したが、江戸時代半ばに臨済宗妙心寺派に改宗している。
伝承によれば、延鎮は京都清水寺の草創に関わりのある老仙人で東国へ旅立った行叡居士の行先を求めて東の方へ行き、美濃国に入ったところで東の山に光を見た。光を目指して進むと加治田村に辿り着き、白華山で行叡居士と再会することができ、延鎮は、坂上田村麻呂に願い出て寺を創建したという。もともと、僧侶や修験者の行場として有名な霊地であったことが分かる。
戦国時代には、戦乱を避けて京都から斎藤道三のもとに寄寓していた宮内卿・平井信正が、加治田の斎藤利治に賓客として清水寺で軍術から和歌・連歌・蹴鞠などを利治や加治田衆に伝え、加治田文化の繁栄に貢献した。
現在は龍福寺の末寺となっっているが、加治田衆の子孫はじめ加治田の地域住民が主体となって見回りと維持管理を行い、 龍福寺の僧も地域住民と同じく管理を行っている。
境内へは硯川と呼ばれる谷川に沿って上る。その参道の脇には厄除弘法や、疣取地蔵として知られる清水地蔵がある。橋のところに鎌倉時代の様式を取り入れた唐破風造り二階門、二天門(岐阜県指定重要文化財)が建つ。持国天と増長天の二天を祀っている。門をくぐり尾西坂を少し登ると、弘法堂,寛文年間(1661~73年)に再興された本堂に出る。そこには平安時代中期の作で本尊の十一面観世音菩薩坐像(国重文)と坂上田村麻呂像が安置されている。脇侍の地蔵菩薩立像は日切地蔵と呼ばれ、室町時代の作で県の重要文化財に指定されている。また、本堂右には一条の滝(白華山の滝)が落ち、京都音羽山清水寺の「音羽山の滝」と同様である。