金丸山砦跡

かなまるやまとりであと(Kanamaruyama Fort Ruins)

【C-SZ127】探訪日:2024/5.11

【C-SZ127】金丸山砦跡 静岡県掛川市中央高町53ー1

【MAP】

〔駐車場所〕

   1569(永禄12)年、武田信玄に駿府を追われた今川氏真が前年12月中旬に入った掛川城を攻略のために、徳川家康が築いた砦(付城)のひとつである。もともとは在地の金丸氏の居館があったとされる。久野三郎左衛門宗能が守備したが、掛川城兵が襲い掛かり、久野宗能,本間永季らは敗走したが、徳川軍の菅沼定盈,松平忠正らが駆け付け鎮圧したという。
 砦は掛川城から西に約1.4kmのところの逆川東岸に築かれ、南域の河田砦とともに逆川を背にした背水の陣であった。遺構は1977(昭和52)年の宅地造成により消滅してしまったが、当時の調査では、南北約300ⅿにおよび、三つの曲輪と幅3ⅿ,6ⅿの2条の堀切が確認されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1569年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01 久野宗能 F026 本間永季 G804
菅沼定盈 G140 松平忠正 MT33

 

【C-SZ127】金丸山砦跡
 遺構は全く残されていないため、「らしき場所」として中央高町の山麓公園の写真を載せた。下図の曲輪②辺りである。この辺りでは最高地である。

 

【C-SZ127】金丸山砦跡

金丸山砦縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)

【C-SZ127】金丸山砦跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)