迫間城跡

はさまじょうあと(Hasama Castle Ruins)

【C-GF078】探訪日:2024/5.5・5.18

【C-GF078】迫間城跡 岐阜県関市迫間891

【MAP】

〔駐車場所〕迫間不動尊からのルートは不動尊の駐車場を利用できる。

【C-GF078】迫間城跡

   築城年,築城者は定かではないが、戦国時代の城主として大島氏(この辺りを支配していた大島光俊の一族)が挙げられる。大島氏は南北朝時代には北朝方として足利氏に従い、戦国時代の大島光義の頃には、美濃斎藤氏の家臣・長井道利に属した。その後は織田氏,豊臣氏,徳川氏と仕え、関ケ原の戦いののちには美濃国関藩初代藩主となっている(光義は1604年に97歳で死去)。関ケ原の戦いで西軍についた子の大島光俊も父と長兄・光成の功績で許され、父の死後は旗本となり交代寄り合いとして存続した。
 城は標高309mの迫間山山頂に築かれ、現在は主郭とその北下の副郭、および一部堀切が確認できるのみである。城跡には迫間不動尊からのルート,猿啄城跡からのルート,北の下迫間神明神社からのルートがある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
大島光義 G3** 大島光俊 G3**

 

【C-GF078】迫間城跡
 迫間不動尊から迫間城跡への登りは不動尊の奥の階段(写真の箇所)からアプローチしたが、下山は主郭西の道から下った。階段はなく通常の山道で歩きやすく(個人的には山の階段は苦手)、楽であった。不動尊の公衆トイレ辺りの焼却炉のところに出ることができる。気づきにくいが、ここにも登山口の案内があった。 

 

【C-GF078】迫間城跡

【C-GF078】迫間城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

迫間不動尊からの登城 迫間不動尊からの登城口 このような階段が続く 頂上八方不動尊の先(奥)を進む 主郭東側の堀切 堀切 堀切 主郭手前 主郭 主郭北側の腰曲輪 主郭北側の腰曲輪 主郭北側の腰曲輪 主郭からみた北方向の眺望 主郭からみた北東方向の眺望(遠くに御嶽が見える) 主郭からみた南方向の眺望(名古屋の高層ビルが見える) 主郭の西側から下りる道(迫間不動尊の焼却炉の所に出る) 主郭から西へ下りたところにも曲輪と思われる個所がある 迫間不動尊の焼却炉の所(ここも登山ルート入り口) 北の県道367号線から迫間城跡をみる(右の山頂辺り)

☟猿啄城跡から迫間城跡をめざす場合

猿啄城跡(展望台)からのルート 20分ほど歩いて鉄塔の下を通る