天方城跡

あまがたじょうあと (Amagata Castle Ruins)

【C-SZ015】 探訪日:1988/1/1・2016/3/25

【C-SZ015】天方城跡 静岡県周智郡森町向天方(城ヶ平公園) 

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SZ015】天方城跡

   築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)初期に首藤山内対馬守道美によって築かれたとされる。太田川の北岸にある城ヶ平と呼ばれる標高248mの山頂に築かれている。主郭は山頂にあって南を除く三方に横堀を巡らし、円形に近い形をしている。北側の駐車場の脇が二の丸となっており、ここにも横堀が残る。1401(応永8)年、道美は天方城を弟の山城守に譲ったとされる。
 1494(明応3)年、天方通季は、駿河の今川氏親が伊勢新九郎(北条早雲)を大将として遠江国に大軍を発したとき、今川方に降った。1501(文亀元)年、遠江国守護斯波氏は信濃国の小笠原氏と連携して久野城と天方城を攻略したが、このとき通季は天方城を捨てて今川氏を頼って落ち、その後奪還した。
 今川義元が桶狭間に倒れると、1568(永禄11)年には甲斐の武田信玄が駿河に侵攻し、三河の徳川家康も遠江に侵攻する。遠江の国人衆が続々と徳川家康に降るなか、天方山城守通興は家康に降ることなく敵対していたため、家康は、1569(永禄12)年に榊原康政,天野康景,大久保忠隣らに天方城を攻めさせ、通興を降伏させた。
 1572(元亀3)年、武田信玄が犬居城主天野景貫の案内によって多々羅城,飯田城を攻略して天方城に攻め寄せると、通興は開城し降伏したが、翌年、家康が天方城奪還のために平岩親吉を将として攻めさせると、天方城に籠もっていた久野弾正忠宗は必死に防戦したが、かなわず降伏し甲斐へ落ち、通興は再び家康に降った。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1394~1428年・1401年 1494年・1501年・1569年・1572年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
首藤山内道美 F94* 天方通季 F947 今川氏親 G360
北条早雲 H145 武田信玄 G425 徳川家康 TG01
天方通興 F947 榊原康政 G378 天野康景 F018
大久保忠隣 F648 天野景貫 F015 平岩親吉 ****
久野忠宗 F022

 

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▲「天方城」「天方氏家系図」説明板

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▲案内板

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▲「天方新城」説明板

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▲主郭

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▲主郭

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▲城跡碑

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▲主郭からの遠景

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▲主郭からの遠景

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▲外堀

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▲外堀

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▲二の曲輪