仁孝天皇後月輪陵
にんこうてんのう のちのつきのわのみささぎ(Nochinotsukinowa Mausoleum of Emperor Ninko)
【K-KT065】探訪日:2015/10.3
京都府京都市東山区今熊野泉山町
【MAP】
〔駐車場所〕
1846(弘化3)年2月21日、宝算47で崩御した第120代・仁孝天皇〔在位:1817~46年〕の陵である。泉涌寺内にある14人の天皇を含む25陵が営まれる月輪陵のひとつ。宮内庁上の形式は石造九重塔。
光格天皇の第四皇子で、母は勧修寺経逸の女の勧修寺婧子(東京極院)。諱は英仁、幼名は寛宮。
1809(文化6)年3月24日、父・光格天皇の中宮である欣子内親王の養子として立太子された。1817(文化14)年に即位し、父の意を受けて、朝儀復興に尽力した。皇族や公家の子弟のための教育機関の設置を志し、武家伝奏・徳大寺実堅に幕府との折衝を命じた。幕府の了承を得てその構想が現実のものとなった矢先、崩御した。宝算47であった。崩御の翌年にあたる1847(弘化4)年、天皇の遺志によって御所の建春門外に公家講学の所として学習所が設立され、孝明天皇から下賜された勅額により「学習院」(京都学習院)と名乗るようになった。1877(明治10)年、明治天皇の命によって設立された皇族・華族教育機関の学習院(現・学校法人学習院および学習院大学)の前身である。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:中期 |
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関連年号 | 1846年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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仁孝天皇 | K609 |
<月輪陵,後月輪陵に営まれる天皇>