泉涌寺
せんにゅうじ(Sennyu-ji Temple)
【T-KT044】探訪日:2015/10/3
京都府京都市東山区泉涌寺山内町27 <📲:075-561-1551>
【MAP】
〔駐車場所〕
草創時期については定かではない。伝承によれば、856(斉衡3)年、左大臣・藤原緒嗣が自らの山荘に神修上人を開山として草創し、当初は法輪寺と称し後に仙遊寺と改めたという。別の伝承では天長年間(824~834年)に空海がこの地に法輪寺を草創し、855(斉衡2)年に藤原緒嗣によって再興され、仙遊寺と改めたとする。
1218(建保6)年、鎌倉の御家人・宇都宮信房が平安時代初期に草創され平安時代後期には荒廃していた仙遊寺を月輪大師俊芿に寄進、俊芿は多くの人々の寄付を得てこの地に大伽藍を造営し、1226(嘉禄2)年に主要伽藍を完成させた。その際、霊泉が湧いたため、寺号を泉涌寺としたという。俊芿は13年間にわたり宋で天台と律を学び、1211(建暦元)年に帰国した。豊前守護であった宇都宮信房は俊芿に帰依していた。泉涌寺の伽藍は全て宋風に造られ、律(北京律)を中心として天台,東密(真言宗),禅,浄土の四宗兼学の道場として栄えた。
1468(応仁2)年、応仁の乱の兵火を受けて全山焼失してしまうが、間もなく復興された。1585(天正13)年には豊臣秀吉に寺領494石を認められる。次いで、1615(元和元)年には徳川家康により寺領601余石が認められた。
また、1224(貞応3)年には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められ、その後、皇室の菩提寺(皇室香華院)として御寺と呼ばれている。月輪山の麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇,四条天皇、および江戸時代の後水尾天皇から孝明天皇に至る天皇陵があり、霊明殿には歴代の天皇や皇后,皇族の尊牌(位牌)が奉安されている。江戸時代に入ってからは皇室との関係はより密接となり、後水尾天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の葬儀を一貫して執り行ったほか、その陵墓も全て境内にあり、月輪陵,後月輪陵,後月輪東山陵として築かれて祀られている。月輪陵と後月輪陵には合計で25の陵と9つの墓があり、後月輪東山陵は孝明天皇陵である。
総門を入ると、参道の左右にいくつかの塔頭があり、長い参道の先にある大門をくぐると、左手に楊貴妃観音堂、正面に伽藍の中心をなす仏殿,舎利殿が建ち、これらの背後に霊明殿,御座所など皇室ゆかりの建築がある。その背後が月輪陵である。仏殿(重文)は1668(寛文8)年に徳川家綱の援助で再建したもので、宋風の「仏殿」の呼称を用いる。内部には本尊の過去・現在・来世を表す伝運慶作の釈迦如来,阿弥陀如来,弥勒如来の3体の如来像を安置する。仏殿の背後に建つのが舎利殿。慶長年間(1596~1615年)に京都御所の建物を移築改装したもので、俊芿の弟子・湛海が1228(安貞2)年に南宋時代の慶元府の白蓮寺から請来したという仏牙舎利(釈尊の歯)を韋駄天像,月蓋長者像(共に重文)とともに安置している。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 平安時代:前期 | 鎌倉時代 | 室町時代 |
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関連年号 | 824~834年・855年・856年 | 1218年・1224年・1226年 | 1468年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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藤原緒嗣 | F203 | 神修上人 | **** | 空海 | SE01 |
宇都宮信房 | F664 | 月輪大師俊芿 | **** | 後堀河天皇 | K330 |
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▲大門
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▲浴室
▲仏殿
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▲仏殿の後方に舎利殿
▲舎利殿
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▲霊明殿
▲霊明殿
▲勅使門
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▲本坊入口
▲車寄せと勅使門
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▲御座所と霊明殿の一部
▲月輪陵
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