後桃園天皇月輪陵

ごももぞのてんのう つきのわのみささぎ(Tsukinowa Mausoleum of Emperor Gomomozono)

【K-KT063】探訪日:2015/10.3

【K-KT063】後桃園天皇陵 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KT063】後桃園天皇陵

   1779(安永8)年12月16日、宝算22で崩御した第118代・後桃園天皇〔在位:1771~79年〕の陵である。泉涌寺内にある14人の天皇を含む25陵が営まれる月輪陵のひとつ。宮内庁上の形式は石造九重塔。
 桃園天皇の第一皇子で、母は一条兼香の女で藤原富子(恭礼門院)。諱は英仁、幼名は若宮。
 父の桃園天皇が亡くなったときにまだ5歳であったことから、摂家の当主による話し合いで英仁ではなく、姉である後桜町天皇が即位した。1768(明和5)年2月19日に立太子。皇太子が天皇の子でないのは熙成親王以来400年ぶり。1771(明和7)年11月、伯母の後桜町天皇の譲位を受けて即位した。しかし、病気がちであり、1779(安永8)年に在位のまま22歳で崩御した。なお、急逝による後継の準備のため、実際よりも後の日付で崩御が発表されており、在位日が崩御後も続いている。
 子が欣子内親王のみであったため、急遽、傍系にあたる閑院宮家より養子を迎え、光格天皇(師仁親王、即位後は兼仁に改名)として即位させた。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 江戸時代:中期
関連年号 1779
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
後桃園天皇 K608

 

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