桃園天皇月輪陵
ももぞのてんのう つきのわのみささぎ(Tsukinowa Mausoleum of Emperor Momozono)
【K-KT061】探訪日:2015/10.3
京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
【MAP】
〔駐車場所〕
1762(宝暦12)年8月31日、宝暦事件後に宝算22で崩御した第116代・桃園天皇〔在位:1747~62年〕の陵である。泉涌寺内にある14人の天皇を含む25陵が営まれる月輪陵のひとつ。宮内庁上の形式は石造九重塔。
桜町天皇の第一皇子で、母は姉小路実武の女の藤原定子(開明門院)。諱は遐仁、幼名は八穂宮。父の嫡妻の二条舎子(青綺門院)の「実子」として育てられた。1747(延享4)年に立太子し、同年、父の桜町天皇の譲りを受けて践祚した。
1758(宝暦8)年、尊王論者の竹内式部敬持が天皇や公家たちに尊王論を講義していることが摂関家の一条道香によって江戸幕府に密告され、竹内式部が京都から追放となり若い公卿が大量に処罰された宝暦事件が発生した。桃園天皇も幾度か講義を受けており、幼い頃からの側近の追放や摂関家の振る舞いに対する反発,苦悩のためか1762(宝暦12)年、22歳の若さで崩御した。一説には暗殺との噂も流れた。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:中期 |
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関連年号 | 1762年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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桃園天皇 | K608 |
<月輪陵,後月輪陵に営まれる天皇>