明正天皇月輪陵
めいしょうてんのう つきのわのみささぎ(Tsukinowa Mausoleum of Empress Meisho)
【K-KT054】探訪日:2015/10.3
京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
【MAP】
〔駐車場所〕
1696(元禄9)年12月4日、宝算74で崩御した第109代・明正天皇〔在位:1629~43年〕の陵である。泉涌寺内にある14人の天皇を含む25陵が営まれる月輪陵のひとつ。宮内庁上の形式は石造九重塔。
後水尾天皇の第二皇女で、母は徳川秀忠の5女の源和子(東福門院)。諱は興子。幼名は女一宮と呼ばれた。徳川将軍家、ひいては三大幕府の将軍家を外戚とした唯一の天皇である。
1629(寛永6)年11月8日に父・後水尾天皇の俄か譲位を受けて践祚した。奈良時代の称徳天皇以来859年ぶりとなる女性天皇であった。女性天皇が立てられたのは歴代8人10代の中で、明正天皇が最後である。
後水尾天皇の譲位の真意は、はっきりとはわからないが、幕府の制約への抵抗、紫衣事件への憤懣が大きな理由ではないかと指摘されている。ただ、明正天皇の在位中は父の後水尾上皇による院政が敷かれ、女帝と言えども朝廷における実権を持つことはなかったとされ、外部との接触も厳しく管理された。
1643(寛永20)年、21歳の明正天皇は素鵞宮(元服して紹仁親王)に皇位を譲り、太上天皇となった。のちに出家して、太上法皇となる。
明正以後は後光明,後西,霊元天皇まで傍系(姉弟)間での皇位継承が続く。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1696年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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明正天皇 | K604 | 後水尾天皇 | K604 | 徳川和子(東福門院) | TG02 |
<月輪陵,後月輪陵に営まれる天皇>