太田代官所跡
おおただいかんしょあと (Ota Daikansho[Magistrate's Office] Ruins)
【R-GF022】探訪日:2024/3.27
岐阜県美濃加茂市太田本町5丁目4
【MAP】
〔駐車場所〕虚空蔵堂前の駐車場が利用できる。
1782(天明2)年4月、尾張藩が美濃国中部・東部の直轄領支配のために設置した代官所である。同年、鳴海代官所,小牧代官所,鵜多須代官所,円城寺代官所が、また前年には佐屋代官所,北方代官所,水野代官所が設置された。
太田宿には中山道三大難所の一つである「太田の渡し」があり、飛騨街道や郡上街道の分岐点で交通の要衝であるため、美濃国の中部と東部の直轄領の蔵入地・給地を支配・管轄するのが目的であった。
初代代官は井田忠右衛門が務めている。1790~92(寛政2~4)年の太田代官所下役人構成及び人員は、代官(石高75俵),手代4名,手代並2名,足軽3名,小使12名であった。1794(寛政6)年には領内管理担当の国奉行と財務担当の勘定奉行を統合して、地方勘定奉行として機構の簡素化を図った。
1868(慶応4)年には北地総管所と改名され、田宮如雲が総管に任命された。このとき坪内逍遙の父である平右衛門信之が役人(手代)として勤めており、逍遥がその様子を書き残している。代官所近くに坪内逍遥の生誕地がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:中期 | 江戸時代:後期 |
関連年号 | 1782年 | 1868年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
井田忠右衛門 | **** | 田宮如雲 | **** | 坪内平右衛門巨 | **** |