四条天皇月輪陵

しじょうてんのう つきのわのみささぎ(Tsukinowa Mausoleum of Emperor Shijo)

【K-KT052】探訪日:2015/10.3

【K-KT052】四条天皇陵 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KT052】四条天皇陵

   1242(仁治3)年2月10日、12歳で不慮の事故により崩御した第87代・四条天皇〔在位:1232~42年〕の陵である。泉涌寺内にある14人の天皇を含む25陵,5人の天皇の灰塚,9人の皇族の墓が営まれる月輪陵のひとつ。形態は九重塔。
 後堀河天皇の第一皇子で、諱は秀仁。母は九条道家の娘の中宮・九条竴子(藻璧門院)である。誕生した年の1231(寛喜3)年10月28日に後堀河天皇の皇太子に立てられる。翌1232(貞永元)年10月4日に父天皇の譲位に伴って2歳で践祚、12月5日に即位したが、わずか12歳で崩御した。
 天皇は幼少であり、初めは父・後堀河上皇が院政を敷いたが、母の藻璧門院,上皇と相次いで崩御したため、外祖父の九条道家とその舅の西園寺公経が事実上の政務を行っていた。崩御については、幼い天皇が近習の人や女房たちを転ばせて楽しもうと試みて御所の廊下に滑石を撒いたところ、誤って自ら転倒したことが直接の原因になったという。四条天皇はかなりの悪戯好きだったという。突然の崩御であったため、巷では後鳥羽上皇の怨霊や慈円の祟りによるものとの噂が立った。
 また、皇位継承もすぐには決まらず、11日間の空位期間が発生した(仁治三年の政変)。
 なお、泉涌寺を再興した俊芿を天皇の前生とする説があり、その理由の一つとして、天皇が俊芿と同じく大根を好んで食べたということが伝えられている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代
関連年号 1242年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
四条天皇 K330 九条道家 F712 西園寺公経 F578

 

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<月輪陵,後月輪陵に営まれる天皇>

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