和泉城跡
いずみじょうあと(Izumi Castle Ruins)
【C-GF076】探訪日:2024/2.27
岐阜県安八郡神戸町和泉中大門
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、千利休の弟子で、豊臣秀次や蒲生氏郷らと並ぶ「台子七人衆」のひとりとされる木村常陸介重茲の居城であった。重茲は豊臣秀吉の家臣として各地で武功を挙げ、淀城(淀古城)18万石の城主に出世したが、1595(文禄4)年の「秀次事件」において秀次を弁護したために連座の罪に問われ自害させられた。重茲の子・木村重成は幼年だったため罪に問われることなく、豊臣秀頼の家臣として仕え、1615(慶長20)年の大坂夏の陣で戦死した。なお、西保北方城の木村重広は同族とされる。
城は東西約35m,南北約54mと推定されるが、現在は竹藪や水田となり遺構は残されていない。
【史跡規模】 |
【指 定】神戸町指定史跡(1963年11月30日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1595年 | 1615年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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木村重茲 | **** | 木村重成 | **** |