結神社
むすぶじんじゃ(Musubu Shrine)
【S-GF005】探訪日:2024/2.8
岐阜県安八郡安八町西結584 <📲:0584-62-5414>
【MAP】
〔駐車場所〕神社前に駐車場がある。
創建年は定かではないが、歴史は古く、嘉応年間(1169~71年)の創建とされる。一説では奈良時代ともいう。当初は鎌倉と京の都を結ぶ鎌倉街道沿いの町屋西神子殿にあったが、1903(明治36)年に揖斐川の河川改修のため、現在地へ移転した。古くは結大明神と呼ばれ、生産,縁結び,和合円満にご利益があるとされ、『十六夜日記』の阿仏尼や、一条兼良ら詠った和歌に「結ぶ神」として表されている。
神社には、照手姫と小栗判官小次郎助重の伝承が伝わっている。永享~嘉吉年間(1429~46年)、故あって小栗判官と別れた照手姫は当社に祈願して判官に再会したというもので、照手姫は自分の守り本尊(黄金仏)を結大明神に納めたという。その守り本尊は、十一面観世音菩薩の額に取り付けられた(現在は、結神社の南約100mにある町屋観音堂に祭られている)。
また、戦国時代、織田信長はこの結大明神を信仰しており、1575(天正3)年の長篠の戦いの際、7日間の戦勝祈願を行っている。
神社には結城址の説明板はある。城は築城年は定かではないが、ここから南西約700m(揖斐川西岸?)にあり、斎藤六宿老の1人・日比野下野守清実が城主であったが、1561(永禄4)年5月の美濃に侵攻した織田信長との森部の戦いで討死し、城も焼失したという。
御神像17躰と1665(寛文5)年に花村太左衛門が寄進した石造狛犬一対は町文化財に指定されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 平安時代:後期 | 明治時代 |
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関連年号 | 1169~71年 | 1903年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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織田信長 | OD04 | 花村太左衛門 | **** |