細目城跡A

ほそめじょうあとA(Hosome Castle Ruins A)

【C-AC680】探訪日:2024/1.29

【C-AC680】細目城跡A 愛知県知多郡美浜町野間桑名前24

【MAP】

〔駐車場所〕少し道は狭いが、神明社へ停めることができる。

【C-AC680】細目城跡A

   築城年は定かではないが、当初は細見河内守家盛の居城であったとされ、1509(永正6)年頃には水野下野守清忠の居城となっている。細見氏は堀田行高の子・之満が細見右近大夫と称したことに始まり、その子・細見河内守冒勝と続くが、細目城との関係は不明である。また、水野下野守清忠は緒川城主・水野信元の祖父にあたり、冨具神社に残る1509(永正6)年の棟札に清忠の名がみえることから、その頃にはこの地を支配していたと思われる。
 しかし、細目城の位置については特定できておらず、吉祥寺裏山の細目城跡Aと、冨具神社南東の丘陵上にある細目城跡Bの2ヶ所が候補地として挙げられている。
 細目城跡Aは吉祥山(本堂ヶ峠)と呼ばれる標高34m,比高30mの丘陵上に築かれていたとされる。江戸時代初期にはすでに廃城となっており、寛永年間(1624~43年)までは吉祥寺が建てられていたという。吉祥寺が現位置の移ると、その後は畑地として利用されていたため、縄張りははっきりしない。Ⅰ郭と記した平坦部は東西約15m,南北約10mほどで、東側に細長い尾根が伸び、植林に伴う段築が続いている。西側と北側に段状地形がみられるが、畑地や荒れ地,雑木林となっている。また、Ⅰ郭の北西約100mの地点には約10m四方の平坦地Ⅱがある。東端に土塁上の高まりが残されている。
 Ⅰ郭へは北の神明社側から入ることができる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1509年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
細見家盛 KI31 水野清忠 G606

 

【C-AC680】細目城跡A

 

 

【C-AC680】細目城跡A

 

細目城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

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神明社 ここから入る 竹林へ入る 右側がⅠ郭 Ⅰ郭 Ⅰ郭 Ⅰ郭 土塁 Ⅰ郭 東へ続く段築 Ⅰ郭の東の一段下がった平坦地 東側からⅠ郭を見る Ⅰ郭の北側平坦地