千賀屋敷跡

せんがやしきあと(Senga Residence Ruins)

【R-AC076】探訪日:2024/1.17

【R-AC076】千賀屋敷跡 愛知県知多郡南知多町師崎的場

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-AC076】千賀屋敷跡

   別称を千賀城ともいう。1602(慶長7)年、もと幡豆崎城主だった千賀孫兵衛重親が築いた城館である。千賀氏は伊予の越智氏(河野氏)が戦国時代に志摩の千賀浦に土着した際に千賀氏を名乗ったのが始まりとされ、さらに海を渡り知多半島南部へと勢力を伸ばした。徳川家康に仕え、御船奉行を命ぜられた千賀重親は幡豆崎城へと入ったが、家康の関東移封と共に相模国内へと移った。
 1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは東軍方に付き、西軍側の九鬼水軍と戦って旧領であった知多から九鬼氏を駆逐した功により、師崎を中心に篠島,日間賀島など1,500石を与えられた。
 江戸時代に入ると、千賀氏は尾張藩に仕えて、当時すでに廃城となっていた幡豆崎城の古材を利用して千賀屋敷を築いた。間口97m,奥行48mの屋敷で、海岸側に門を構え、周囲を柵で囲い、内部には樹木が茂っていたという。明治初期まで現存したが、現在は遺構は残されておらず、「千賀家の碑」が建つのみである。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 安土桃山時代
関連年号 1602年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
千賀重親 OC**

 

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