大高坂城古戦場(吉野朝廷時代古戦場)
おおだかさじょう こせんじょう(よしのちょうていじだいこせんじょう)
(Historic Battlefield of Odakasa Castle [Historic Battlefield of Yoshino Dynasty Period])
【B-KC002】探訪日:2019/7.21
高知県高知市升形5
【MAP】
〔駐車場所〕
1340(興国元/暦応3)年1月、土佐での北朝方と南朝方が激戦を繰り広げた場所とされる。
南北朝時代、土佐では北朝方の足利尊氏の重臣・細川定禅の勢力が強く、南朝方の大高坂城(のちの高知城の地)の大高坂松王丸(義秀)との戦いが続いていた。
1338(延元3/暦応元)年、南朝方は後醍醐天皇の第7皇子・満良親王,新田綿打入道,金沢左近将監らの援軍を迎えると、一時勢力を盛り返す。
1340年1月、北軍は升形近辺にあったとされる安楽寺に砦を築いて、大高坂城を繰り返し攻撃すると、南朝方は満良親王を奉じて、鏡川を挟んで南の潮江山(筆山)に陣を設け、数千騎で大高坂城を救援しようとし、この辺りで激しい戦いが繰り広げられたという。松王丸は大高坂城の西木戸辺りで戦死したといわれ、城は落城した。また、満良親王は西国方面へ脱出した。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 |
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関連年号 | 1340年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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細川定禅 | G37* | 大高坂松王丸(義秀) | **** | 満良親王 | K501 |
新田綿打入道 | G32* | 金沢左近将監 | **** |