安閑天皇古市高屋丘陵(高屋築山古墳)
あんかんてんのう ふるちのたかやのおかのみささぎ(たかやつきやまこふん)
(Furuchi-takayanooka Mausoleum of Emperor Ankan [Takayatsukiyama-Kofun Tumulus])
【K-OS046】探訪日:2017/11.13
大阪府羽曳野市古市5丁目6-7
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「古市高屋丘陵」として第27代・安閑天皇の陵に治定されているほか、合葬の神前皇女(継体天皇皇女)の墓に治定されている。一方、近年では、安閑天皇の真陵として河内大塚山古墳説が出されているが、否定論もある。
高屋築山古墳は古市古墳群の最南端に位置し、墳丘の長さ122m、前方部幅100m,高さ12.5m、後円部直径78m,高さ13mの前方後円墳である。この古墳は、室町時代後半に畠山氏の居城である高屋城の本丸が置かれており、もともとの形態が大きく改変されている。なお、『足利季世紀』によれば、畠山稙長は古墳に対する畏敬の念から本城に居住せず、二ノ丸に居住したとしているが、なぜ城として利用したか不明である。
出土した円筒埴輪の特徴から、6世紀初頭に築造されたものと考えられている。
安閑天皇は513年に立太子され、48歳で皇太子となる。継体天皇の後を受けて、66歳にして即位したが、わずか4年で崩御(『古事記』では535年3月13日)した。都は勾金橋宮。『安閑記』には、関東から九州までの屯倉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部の設置が記されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:中期) |
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関連年号 | 5世紀初頭 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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安閑天皇 | K301 | 神前皇女 | K301 |
古墳時代の出来事については「古墳時代」を参照。
高屋築山古墳(Googleマップ航空写真)