高正館跡
たかまさやかたあと(Takamasa Residence Ruins)
【R-AC072】探訪日:2023/10.30
愛知県豊田市畝部西町高正34
【MAP】
〔駐車場所〕
築造年は定かでないが、室町時代に神谷石見守高正によって築かれたと伝えられている。神谷氏は南北朝時代に新田義貞と行動を共にし、義貞死後、三河国上和田へ落ち延びた武茂泰藤(宇都宮氏)の流れを汲むといわれる。高正の子・高朝は応永年間(1394~1428年)に国江城を築き、また、高正館の西に隣接する地に幸福寺を建立して父の菩提を弔った。高朝の3代後の高宗のとき、1506(永生3)年にこれまで属した松平氏を裏切り今川氏に寝返ったため、安祥城の松平長親に攻められ駿河へと落ち延びたと言われ、国江城と共に高正館も破却されたと考えられる。
館跡は幸福寺の東に位置するが明確ではなく、現在は宅地や畑地となり遺構は残されていない。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1394~1428年 | 1506年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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神谷高正 | F*** | 神谷高朝 | F*** | 神谷高宗 | F*** |