法性寺
ほっしょうじ(Hossho-ji Temple)
【T-AC104】探訪日:2023/9.9
愛知県岡崎市法性寺町上屋敷50
【MAP】
〔駐車場所〕門前に数台駐車可能なスペース(駐車場)がある。
1016(長和5)年、比叡山第22世天台座主の暹賀が衆生救済の浄地として創建したのが始まりとされる。
戦国時代には法性寺域に支院六坊があったが、岡崎城主・松平広忠は、そのひとつ定光坊の住僧・永玖に深く帰依していた。永玖は広忠の命を受け、鳳来寺の薬師如来に男子出生を祈願したところ、徳川家康が誕生したという。この功績により、1544(天文13)年、法性寺六坊は岡崎城の東北鬼門にあたる甲山寺に移されるが、村人の願いによって大日堂は残された。
太平洋戦争末期の1945年7月19日、甲山寺の可児光照住職から、「昨夜、夢に仁王さんが現れて、法性寺に帰りたいって告げられた」と、法性寺住職であった野田政次郎,ゑつ夫妻に連絡があった。夫妻は急いで大八車で仁王像を法性寺に運び安置。その夜から翌日にかけ岡崎は大空襲を受け、甲山寺を含む旧市街は灰じんに帰した。この事実は、金剛力士が奇瑞を身をもって示した尊い実話として言い伝えられている。