丸山能頭城跡

まるやまのうとうじょうあと(Maruyama Noto Castle Ruins)

【C-AC657】探訪日:2023/8.27

【C-AC657】丸山能頭城跡 愛知県岡崎市丸山町能頭

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC657】丸山能頭城跡

   築城年は定かではないが、室町時代に三河国額田郡丸山を領した丸山中務入道,彦次郎父子の居城とされる。1572(元亀3)年前後には成瀬伊賀守国次の居城となっていた。城主に榊原式部,川澄分助の名もある。
 丸山中務入道,彦次郎父子は、1465(寛正6)年の額田郡一揆で、大場次郎左衛門,梁田左京亮,芦谷助三郎らとともに井ノ口砦に籠居して武装蜂起し、域内の主要な道を封鎖して京都への租税等官物を奪うなどの狼藉を働いた。室町幕府は、三河守護・細川成之に鎮圧を命じ、丸山父子は大平郷で戸田宗光勢に討ち取られた(詳細は【井ノ口城跡】サイトを参照)。
 城跡は乙川がS字に湾曲した突端の段丘上(標高32m,比高6m)とされ、神明宮第一古墳の横の道を150mほど進むと、空堀,土塁の東側に曲輪が現れる。最東端にはおのづ竜神(竜宮之宮)の祠が建つ。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1465年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
丸山中務入道 **** 丸山彦次郎 **** 成瀬国次 F723
榊原式部 G374 川澄分助 **** 戸田宗光 F566

 

【C-AC657】丸山能頭城跡
 西の宗徳寺の駐車場に車を停めさせていただき、神明宮の神明宮第一古墳の横の道(竜宮之宮の案内板がある)を進むと、あとは一本道で空堀,土塁にたどり着く。今回、最東端の竜宮之宮まで行くと、驚いたことに中国からの観光客と思われる方々が6,7名みえ、三脚を立てて記念撮影していた。「こんなところに」と思ったが、何か目的があったのだろう。

 

【C-AC657】丸山能頭城跡

 

丸山能頭城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

【C-AC657】丸山能頭城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

神明宮第一古墳の横を進む 空堀 空堀 土塁 右下が主郭 一段下がったところが主郭(土塁上から見ている) 主郭 右(北)に土塁 東端にあるおのづ竜神(竜宮之宮)の祠 おのづ竜神 おのづ竜神