東本郷城跡
ひがしほんごうじょうあと(Higashi-hongo Castle Ruins)
【C-AC652】探訪日:2023/8.27
愛知県岡崎市東本郷町北浦
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、植村持益の子・新六郎氏義が北本郷城から移り築いたとされる。1493(明応2)年、遠江国植村より移住した土岐源三郎持益は北本郷村に北本郷城を築いて植村氏に改姓し、松平宗家4代・松平長親に仕えた。植村氏義の代に東本郷城へ移ったとされる。1520(永正17)年には新六郎栄安がこの地で生まれている。植村栄安(氏明)は松平宗家7代・清康,8代・広忠そして9代・家康と3代にわたって仕えた。1535(天文4)年、松平清康が守山城で阿部正豊に殺害された時(守山崩れ)には、栄安が正豊をその場で切り倒している。また、1549(天文18)年に松平広忠が岩松八弥によって殺害(異説あり)された時も栄安が敵討ちをしている。栄安の孫である植村家次は家康の長男・松平信康の小姓として仕えたが、信康が廃嫡されると流浪の身となるものの、後に榊原康政の推挙によって再び家康に仕え、子孫は大名となっている。
城跡は安城街道(県道47号線)の北東辺りで60ⅿ×60ⅿ規模とされるが、現在は住宅,田畑地となり遺構は残されていない。なお、安城街道から南西に100ⅿほど入ったところ(Googleマップの「本郷城跡」)に植村栄安生誕地の碑が建つ。