円福寺

えんぷくじ(Enpuku-ji Temple)

【T-AC100】探訪日:2023/7.3

【T-AC100】円福寺 愛知県岡崎市岩津町檀ノ上85 <📲:0564-45-2142>

【MAP】

〔駐車場所〕円福寺参詣者用駐車場(東のスロープを上った大クスの東側)に停める。

【T-AC100】円福寺

    円福寺は、もとは1251(建長3)年に法然上人の孫弟子である円空立信によって創建された深草真宗院を前身とする。なお、円空立信は1272(文永2)年、京都から関東への旅の途中に長沢村石塚辺りで阿弥陀如来像を安置する御堂を建て供養している(立信寺参照)。真宗院は1306(徳治元)年に京都猪熊綾小路で再建され、花園天皇より円福寺の寺号を賜った。その後、相次ぐ戦乱で荒廃したが、豊臣秀吉によって京都の街が整備された時に寺町四条坊門に移築再興され、以来、浄土宗西山深草派大本山と称された。
 その後、1881(明治14)年に当地にあった妙心寺と寺号交換され、現在地に移安された。妙心寺は松平宗家3代・松平信光によって1461(寛正2)年に、26歳で没した子の松平親則の菩堤を弔うために岩津妙心寺城跡地に建立された寺である。開山は松平宗家2代・㤗親の子の教然良頓である。
 建物と境内の景観は妙心寺時代のものを引き継いでおり、総門には左甚五郎の作と伝えられる鯉の彫刻がある。境内本堂前にある楠は樹齢数百年といわれる大木で、岡崎市の「ふるさと景観資産」となっている。
 また、本堂西側の墓地には開山の教然良頓の墓をはじめ、松平親則を始祖とする長沢松平家一族の墓が並ぶ。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 室町時代 明治時代
関連年号 1251年・1306年 1461年 1881年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
円空立信 **** 松平信光 MT01 松平親則 MT15

 

【T-AC100】円福寺
 

 

【T-AC100】円福寺

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総門 鐘楼門 本殿 大クス