占部城跡
うらべじょうあと(Urabe Castle Ruins)
【C-AC622】探訪日:2023/7.3
愛知県岡崎市国正町西浦20
【MAP】
〔駐車場所〕城跡の南東の国正町専用駐車場に停めさせていただく。
築城年は定かではないが、文明年間(1469年~86年)頃に渡辺道綱が三河国額田郡浦部村に移住し、築城したことが始まりとされる。その子・範綱より松平宗家に仕え、範綱の曽孫にあたる徳川十六神将の一人・槍の半蔵で知られる渡辺半蔵守綱は1542(天文11)年にこの地に生まれている。1563~64(永禄6~7)年の三河一向一揆では、守綱は父・高綱とともに一揆側に付き家康軍と対峙した。一揆終結後、守綱は許され家康に帰参したが、高綱は討死している(渡辺高綱戦死地)。その後、三方ヶ原の戦い,長篠の戦い,小牧長久手の戦いなどで戦功を挙げ、1590(天正18)年の家康関東移封に伴い、守綱も武蔵国比企郡へと移り、占部城は廃城になったと思われる。
1610(慶長15)年、尾張初代藩主・徳川義直の附家老に転じ、1613(慶長18)年には1万4000石で寺部城の地に陣屋を構えた。大坂の陣で義直の初陣を補佐し、1620(仁和6)年没した。
現在は宅地に変わり、宅地端に土塁の一部が残されている。