平井遺跡
ひらいいせき (Hirai Ruins)
【V-AC015】探訪日:2023/6.17
愛知県豊川市平井町
【MAP】
〔駐車場所〕
1922(大正11)年、1900(明治33)年に発見された平井稲荷山貝塚周辺を京都帝国大学の清野謙次博士が継続発掘調査したところ、人骨が50体以上発見され、全国でも屈指の縄文人骨出土遺跡として知られるようになった。その後も明治大学や教育委員会などにより発掘調査が行われ、現在までに約90体もの人骨が確認されている。当時の埋葬方法は土葬であったが、なかには頭に土器をかぶせたものもあった。また、乳幼児の遺体は壺や深鉢などの土器に入れて埋葬されていた。
清野博士は、吉胡貝塚(愛知県田原市)で発掘された人骨250体などとを合わせて研究した結果、「原日本人説」を唱えた。石器時代人が大陸からの渡来者と混血して、一方では日本人になり、北日本ではアイヌになったと考え、現代日本人とアイヌの共通祖先が長い混血の歴史を経て形質上の変化を遂げてきたとする説である。
また、ここから出土する土器のほとんどは縄文時代晩期の指標となっており、「稲荷山式」と命名されている粗製土器である。
【史跡規模】 |
【指 定】豊川市指定史跡(1997年3月3日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 縄文時代:晩期 |
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関連年号 | 約3000年~2500年前 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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清野謙次 | **** | 4 |