茂松城跡
しげまつじょうあと(Shigematsu Castle Ruins)
【C-AC586】探訪日:2023/4.17
愛知県豊川市御津町豊沢松ノ下1
【MAP】
〔駐車場所〕登り口付近に小さな駐車スペースがある。
高坂城ともいう。築城年は定かではないが、源頼朝の異母弟である源範頼が三河守に任じられた1184(寿永3)年6月以降に居城したとされる。
文明年間(1469~86年)には細川勝久が在城したが、今川義忠に攻め滅ぼされたといわれる。その後、今橋城主の牧野成時の6男・牧主計が入ったが、1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで討死した。さらに長沢松平氏の所領となり、竹本城の詰城として御津の知行を守る最後の拠点としたという。
標高77m,比高50mの山頂に築かれた主郭は南に虎口を持ち、三方に土塁を配し、北側には横堀跡がみられる。また、主郭の南東へ少し下ったところには、おそらく県内でも最大級の直径3mほどの井戸跡がある。
【史跡規模】 |
【指 定】豊川市指定史跡(1969年2月3日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 |
鎌倉時代 |
室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1469~86年 | 1560年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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源 範頼 | G202 | 細川勝久 | G*** | 牧主計 | MC** |
長澤松平氏 | MT** |
御津あおば高校校門前付近の登り口から入って5分足らずで主郭に到着。さほど広い主郭ではないが、特に井戸跡は見所である。今までいくつも井戸跡は見てきたが、ここの大きさには少し足がすくんでしまうほど。
茂松城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)