竹本城跡

たけもとじょうあと(Takemoto Castle Ruins)

【C-AC583】探訪日:2023/4.9

【C-AC583】竹本城跡 愛知県豊川市御津町広石船山32

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代は定かではないが、南北朝時代に新田義貞の家臣であった高田薩摩守義遠の次男・高田又次郎政季が築いたとされる。1336(建武3)年正月、義遠は京都における合戦で討死したが、政季が当地に移り住み、竹本姓を名乗った。
 1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後も、竹本四郎左衛門成久は牛久保の牧野氏とともに今川方に留まったが、1563(永禄6)年、牧野氏が松平家康に降ると、竹本氏もこれに従い、帰農,土着したといわれている。
 天正年間(1573~91年)には、長沢松平氏の家臣・山田長門守晴政が居城したとされる。1590(天正18)年、家康の関東移封に伴い長沢松平も三河を去ったことで廃城となったと考えられる。
 竹本城は東へ伸びた微高地に築かれていたが、現在は県道372号線によって東西に分断されており、東側に秋葉神社と城址碑,説明板がある。西側には住宅が建つが、土塁と堀状の遺構,切岸が残されている。

【史跡規模】

【指 定】豊川市指定史跡(1969年2月3日指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代

南北朝時代

戦国時代
関連年号

1336年

1563年・1573~91年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
高田義遠 **** 高田(竹本)政季 **** 竹本成久 ****
山田晴政 G***

 

【C-AC583】竹本城跡
 

 

【C-AC583】竹本城跡

 

竹本城跡平面図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

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南からみる 南を見る 南を見る 南から見る 県道372号線が城跡を分断 城跡の西側(県道372号線沿い) 城跡の西側の丘陵 城跡の西側の丘陵 城跡の西側(県道372号線沿い) 西側から県道を挟んで東を見る 西の曲輪の北に残る土塁 西の曲輪の北に残る土塁