不相城跡

ふそうじょうあと(Fuso Castle Ruins)

【C-AC580】探訪日:2023/3.30

【C-AC580】不相城跡 愛知県蒲郡市竹島町15

【MAP】

〔駐車場所〕

   別名を丸山城という。1550(天文19)年頃、三河鵜殿氏の惣領家の上ノ郷城主・鵜殿長持の弟である不相鵜殿氏の鵜殿長成によって築かれたとされる。
 15世紀後半、紀伊国熊野地方から渡ってきた鵜殿氏は、上ノ郷城を中心に、不相城,下ノ郷城(蒲形城),柏原城を築き一族を配置して、現在の蒲郡市のほぼ全域と幸田町の一部を勢力下に治めていった。
 1562(永禄5)年、西三河を平定した松平元康(徳川家康)は東三河へと進出し、まず、鵜殿宗家の上ノ郷城を攻略した。分家筋の下ノ郷城と柏原城の鵜殿氏は松平方に与したが、不相鵜殿氏は宗家とともに今川方として松平氏に反抗した。結果、宗家の鵜殿長照は松平勢との合戦の末に討死し、孤立無援となった不相城の鵜殿長成は子の藤九郎以下一族を率いて城を脱して小原鎮実が守る吉田城へと奔った。なお、その後の鵜殿長成は、1564(永禄7)年からの松平勢との吉田城籠城戦で和議開城となると、一族と共に家康に属したという。
 城は三河湾に浮かぶ竹島を望む標高35m,比高30mの独立丘陵上に築かれていたが、1934(昭和9)年に山頂近くに蒲郡プリンスホテルが建設されたことで遺構の多くは消滅してしまったと考えられる。現在は蒲郡クラシックホテルとなっている。ホテルの西を少し上ったところが主郭とされ、このほかホテルの東側、その南と曲輪跡を思わせる地形が残るが、当時のものかは不明である。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1550年・1562年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鵜殿長成 F515 松平家康 TG01 鵜殿長照 F515

 

【C-AC580】不相城跡
 

 

【C-AC580】不相城跡

 

不相城跡平面図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

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城跡に建つ蒲郡クラシックホテル 主郭 主郭 主郭 櫓台の上 櫓台の上 中腹から望む竹島 二郭跡の南の曲輪跡 二郭跡の南の曲輪跡 二郭跡の南の曲輪跡 二郭跡の南の曲輪跡 上が二郭跡 二郭跡