蒲形城跡

がまがたじょうあと(Gamagata Castle Ruins)

【C-AC579】探訪日:2023/3.30

【C-AC579】蒲形城跡 愛知県蒲郡市中央本町31

【MAP】

〔駐車場所〕向かいのコンビニ駐車場に一時停めさせていただく。

【C-AC579】蒲形城跡

   永正年間(1504〜21年)、鵜殿長善の嫡子・長将が上ノ郷城を継ぎ、弟の又三郎長存が下ノ郷に分かれて下ノ郷城(蒲形城)を築かれたとされる。鵜殿氏は今川氏に属していたが、1562(永禄5)年、西三河を平定した松平元康(徳川家康)が東三河へ進出し、上ノ郷城を攻めたときには、分家筋の下ノ郷城(城主は鵜殿長龍?)と柏原城(城主は鵜殿長祐)の鵜殿氏は松平方に与した。両軍に分かれることで、一族の存続をはかったとも考えられる。
 その後、下ノ郷鵜殿氏は酒井忠次配下に置かれ、1590(天正18)年、鵜殿長信のときに家康の関東移封に従い、下総北相馬に移り蒲形城も廃城となった。長信は2年後の1592(文禄元)年に没したが、跡目相続が認められず、翌年には改易となっている。
 時代は下り、1612(慶長17)年、吉田城主(藩主)であった竹谷松平忠清が急死し無嗣除封となったが、幕府は家名の絶えるのを惜しみ、忠清の弟・清昌に西郡5,000石を与え、交代寄合の旗本とした。清昌は蒲形城跡の東南部分に蒲形陣屋を築いている。
 蒲形城は県立蒲郡高校の南西付近に築かれていたとされ、水堀に囲まれた方形の居館を楕円形の外堀が巡るような形態であったと推測される。現在は、住宅,店舗,駐車場となり、遺構は残されていない。蒲郡高校南の土塁は蒲形陣屋の遺構とされているが、蒲形城時代のものを利用したと考えられる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代

安土桃山時代

関連年号 1504~21年・1562年

1590年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鵜殿長存 F515 松平元康 TG01 鵜殿長龍 F515
鵜殿長信 F515

 

【C-AC579】蒲形城跡
 

 

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蒲形城平面図

【C-AC579】蒲形城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

県立蒲郡高校 蒲郡高校南方の土塁跡(詳細は蒲形陣屋跡を参照)