岡城跡
おかじょうあと (Oka Castle Ruins)
【C-SZ041】探訪日:2016/5.5
静岡県湖西市新所
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、1566(永禄9)年正月、宇津山城中にて兄の2代目城主・朝比奈泰充を殺害した朝比奈孫六郎真次の居館跡とされる。
享禄年間(1528~31年)以降、宇津山城には朝比奈泰長が入った。1560(永禄3)年、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、三河国統一に向けて邁進する松平家康方に誼を通じる土豪が多くなる中で、泰長は今川氏への忠誠を貫こうとした。跡を継いだ泰充も今川氏真に仕えたが、1566(永禄9)年正月、城中における謡初め会にて、徳川に誼を通じていた弟の朝比奈真次によって殺害された。真次は事の次第を偽って「兄病没」と駿府の今川氏真へ報告し、宇津山城主の座に就く。
しかし、真相は氏真の知るところとなり、翌1567(永禄10)年正月、氏真の命を受けた小原肥前守鎮実が宇津山城へと攻め寄せた。小原鎮実は1565(永禄8)年に松平方の酒井忠次の攻撃によって今橋城(吉田城)を明け渡した経験があり名誉挽回の機でもあった。朝比奈真次は討死し、真次の妻子も執拗な追撃により三河国境近くで自害して果てた(岡戸地蔵)。
城跡は土地整備によって改変され、遺構は残されていない。