宇津山城跡
うつやまじょうあと (Utsuyama Castle Ruins)
【C-SZ005】 探訪日:1991/11.2・2015/5.5
静岡県湖西市入出字正太寺鼻
【MAP】
〔駐車場所〕
1506(永正3)年頃、遠州進出を図った今川氏親が浜名湖西岸に築いた。城主には、長池親能、次に小原親高が入り、享禄年間以降は朝比奈泰長が入った。1560(永禄3)年、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、三河国統一に向けて邁進する徳川家康方に誼を通じる土豪が多くなる中で、泰長は今川氏への忠誠を貫こうとした。しかし、跡を継いだ泰充は、1566(永禄9)年正月、城中における謡初め会にて徳川に誼を通じていた弟の孫六郎真次に殺され、翌年正月には、真次も今川氏真の命を受けた小原鎮実に討ち取られる。そして、今川方は境目城(吉美城)を築き、宇津山城とともに家康の来攻に備えた。1568(永禄11)年12月、徳川方の酒井忠次は、境目城を落としたのち、遠江国に侵攻し、1569(永禄12)年、宇津山城を攻略した。城主・小原鎮実らは城に爆薬を仕掛け浜名湖から逃亡した。
その後、家康は、松平家忠を在番として城郭を拡張させている。1572(元亀3)年には松平清善が1,000貫文を賜って城番に命じられたが、浜松城築城後には自然廃城となっている。
正太寺を挟み東西二城に分かれており、東の城は、水陸両用の城で土塁,桝形が残っている。西の城は、標高56mの高地(通称高山)を中心とした長方形曲輪である。
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