上野砦跡
うえのとりであと (Ueno Fort Ruins)
【C-SZ094】探訪日:2023/3.7
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷431ー2212
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、井伊氏一族の上野氏によって三岳城を守る砦群の一つとして築かれたとされる。三岳城の南南西約3.5kmほどのところに位置し、東の旧鳳来道を監視する役割を持っていたと思われる。
しかし、1339(延元4/暦応2)年、南朝方の後醍醐天皇の皇子・宗良親王とともに三岳城に籠もっていた井伊道政は、高師兼らの北朝幕府軍の攻撃により各支城や砦を次々と落とされ、1340(興国元/暦応3)年正月に三岳城も陥落すると大平城へと退却した。上野砦もそれと前後して落城したと考えられる。結局、井伊道政,宗良親王らは大平城も落とされ、ついには信濃国へ落ちていった。
上野砦は段丘崖の舌状台地に築かれ、東を除く三方を土塁で囲まれていた。現在は、耕作地や建物などにより改変を受け、南側の土塁は残されていない。
なお、上野砦の南西約600mには谷津砦があるが、街道監視が機能せず上野砦が構築されたという。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 |
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関連年号 | 1339年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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上野氏 | F441 | 井伊道政 | F441 | 宗良親王 | K501 |
高 師兼 | TS04 |