渋川城跡
しぶかわじょうあと (Shibukawa Castle Ruins)
【C-SZ087】探訪日:2023/2.4
静岡県浜松市北区引佐町渋川
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代,築城者は定かではないが、渋川井伊氏歴代の居城である。井伊氏8代・泰直の子である直助が上野左衛門次郎を名乗って分家したのに始まり、直助,直貞,直秀,直幸と続き、井伊谷の本家井伊氏に匹敵する力を持っていたと推測される(渋川井伊氏を本家とする見方もある)。しかし、永正年間(1504~21年)に起きた遠江守護をめぐる斯波氏と今川氏の争いで、渋川井伊氏は斯波方に付いて敗れたことで、一族は離散したとされる。
現在、城跡とされるところは、南北に細長い丘となっており、西側は削り取られ丘上は茶畑となって遺構は残されていない。地元では「スロウ(城)」といい、「殿垣戸」「堀合」「馬場」など城郭に関わる地名も多く残っている。
城跡には井伊氏初代の井伊共保の墓所がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1504年~21年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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井伊直助 | F441 | 井伊直貞 | F441 | 井伊直秀 | F441 |
井伊直幸 | F441 |
城址立札が立つ丘が渋川城跡とされるが、東側にそびえる小高い山が気になり登ってみた(自分なら、こちらに築城する)。その山頂は広く平坦部を有し、平坦部には石列がみられ、南側には石積みをもつ1~2mほど高くなった平坦部がある。また2ヶ所の井戸跡らしき穴や土塁状の凸部も確認できる。山下の水路は堀跡にも思える。ただ、ここが後世に加工された場所なのか、何か施設があったのかは不明である。ここが詰城で西の小丘が屋敷跡などとも勝手に想像してみた。