成務天皇狹城盾列池後陵
せいむてんのう さきのたたなみのいけじりのみささぎ (Saki-tatanami-ikejiri Mausoleum of Emperor Seimu)
【K-NR067】探訪日:2018/10.3
奈良県奈良市山陵町323
【MAP】
〔駐車場所〕
実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁により第13代・成務天皇の陵に治定されている。遺跡名は佐紀石塚山古墳。一時期、神功皇后の狭城盾列後陵と間違えられていたが、843(承和10)年に、改めて北を神功皇后陵、南を成務天皇陵と定められた。古墳の規模は全長218.5m、後円部径132m,高さ19m、前方部幅121m,高さ16mの前方後円墳で、古墳時代前期末頃の築造と考えられている。葺石が多用されているために石塚山古墳の名がある。石室は江戸時代の記録によると、後円部に竪穴式石室と長持形石棺があるとされ、盗掘された痕跡もある。
成務天皇については実在説,非実在説が分かれる天皇で、通説では実在性の低い天皇の一人に挙げられる。考古学的に見ても実在した証拠はない。ただ、倭国造,葛城国造,忌部氏,大伴氏,中臣氏,物部氏,三輪氏,土師氏など諸豪族の系図には、成務朝に活動した人物や国造に任命された者の名が見えており、これら諸氏の系譜や世代関係は実在説を唱える根拠となっている。実在したとすれば4世紀中頃に在位した大王と推定される。
事績としては武内宿禰を大臣とし、行政区画として国郡,県邑を定め、それぞれに長をを任命して地方行政機構の整備を図ったとされる。人民は安住し天下太平であったという。成務天皇60年に崩御、享年は107歳(『古事記』では95歳)。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:前期) |
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関連年号 | 成務天皇60年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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成務天皇 | K103 | 武内宿禰 | K108 |