高城砦跡

たかつきとりであと (Takatsuki Fort Ruins)

【C-AC548】探訪日:2022/12.8

【C-AC548】高城砦跡 愛知県新城市富岡南川

【MAP】

〔駐車場所〕林道南川線の門扉で遮されているところまで行くと駐車スペースがある。

【C-AC548】高城砦跡

   1561(永禄4)年、桶狭間の戦いの翌年、野田城主であった菅沼定盈によって築城された。菅沼定盈は桶狭間の戦い後、今川方から離反し松平元康(徳川家康)に属したため、今川氏真方に野田城を攻められ、定盈は同じく今川氏を見限った縁戚関係(叔母が西郷正勝に嫁いでいる)でもある西郷氏のもとに退き、五葉城の南東約400mに砦を築いた。しかし、翌1562(永禄5)年には再び今川氏真方に攻められ、西郷正勝,元正父子が討死した。定盈は辛うじて生き延び、野田城を奪還している。
 高城砦は五葉城よりも30mほど高く、土塁のある主郭の南下段に二の曲輪があり、さらに堀切と土塁で南尾根を遮断している。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1561年・1562年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
菅沼定盈 G140 今川氏真 G361 西郷正勝 F623
西郷元正 F623

 

【C-AC548】高城砦跡
 

 

【C-AC548】高城砦跡

五葉城,高城砦要図(『愛知県中世城館趾調査報告』に加筆)

【C-AC548】高城砦跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

高城砦跡への入口 主郭 主郭 主郭の土塁 二の曲輪へ下りる 二の曲輪から主郭を見上げる 二の曲輪 二の曲輪側から見た堀切 堀切から二の曲輪側を見る 堀切 堀切 堀切 土塁 土塁上から見た堀切 南尾根側から見た土塁(その先が堀切を挟んで二の曲輪)