黒崎古墳
くろさきこふん(Kurosaki-Kofun Tumulus)
【K-NR048】探訪日:2014/11.28・2022/8.21
奈良県天理市柳本町1118-2
【MAP】
〔駐車場所〕
柳本古墳群に属する前方後円墳である。1961(昭和36)年に最初の事前調査が行われて以降、幾度かの発掘調査が実施された。全長約134m、後円部径約72m,高さ約11m、前方部長さ約48m,高さ約6m、後円部3段,前方部2段で前方部と後円部の高低差が大きい。前方部正面にわずかな弧状のふくらみが見られ前期古墳の特徴の撥形である。また、周濠を持ち、葺石や埴輪は確認されていない。箸墓古墳や椿井大塚山古墳などとともに出現期古墳と総称され、黒塚古墳は箸墓古墳のちょうど2分の1に企画された前方後円墳である可能性が高いと考えられている。
後円部の埋葬施設は竪穴式石室で、内法長約8.3m,北小口幅0.9m,高さ約1.7mで、二上山麓の春日山と芝山の板石を持ち送りに積んで合掌造状の天井を作り出している。石室内には刳抜式木棺が納められている。1997(平成9)年から翌年にかけての第3次発掘調査では、三角縁神獣鏡33面とそれよりも少し古い画文帯神獣鏡1面が副葬当時に近い状態で発見され、鏡を含めて埋葬当時の位置を保っていて、副葬品の配列方法とその意味がわかるものとなった。中世の地震により天井部分が崩落し床面が板石によって覆われたことで、副葬品が盗掘者から守られた。
天理市教育委員会では築造時期を4世紀初頭から前半と公表しているが、考古学の白石太一郎氏は、三角縁神獣鏡の形態から、西暦260年すぎ(3世紀中葉~後葉)には造営されていた可能性が高いとしている。
また、室町時代後期以降江戸の幕末まで、城砦,陣屋としても活用されている(詳細は楊本城跡参照)。そのため、武家以外には古墳に自由に立ち入ることができず、盗掘を防げたとする見方もある。
【史跡規模】 |
【指 定】国指定史跡(2001年1月29日指定) 【国 宝】 【国重文】黒塚古墳出土品一括(2004年6月8日指定) ・銅鏡 34面 ・鉄製品 210点 ・土師器 3点 ・(附指定)木製品 1点 |
関連時代 | 古墳時代:前期 |
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関連年号 | 4世紀初頭~前半(3世紀中葉~後葉とも) |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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皇 |
黒崎古墳(Googleマップ航空写真:黄線は概略形状)と出土した鏡