小谷古墳
こたにこふん(Kotani-Kofun Tumulus)
【K-NR136】探訪日:2022/8.21
奈良県橿原市白橿町4丁目12−25
【MAP】
〔駐車場所〕
貝吹山から北東に延びる尾根の先端部南斜面に築造された古墳であるが、墳丘封土の大部分が流失しており、円墳か方墳か明らかではない。長さ約30m,高さ約8mを測る。主体部の埋葬施設は南方向に開口する両袖式横穴式石室で、石室全長約11.6m、玄室は長さ約5m,幅約2.8m,高さ約2.7m、羨道は長さ約6.45m,幅1.9m,高さ約1.8mを測り、花崗岩の巨石の切石を用いた整美な大型石室である。峯塚古墳同様、岩屋山古墳に類似する岩屋山式石室で、地域を超えて同一設計で石室が築造されるようになり、石工集団が豪族管理から朝廷管理に移行した様子が示唆される。玄室内には兵庫県加古川流域産の成層ハイアロクラスタイト(竜山石)製の刳抜式家形石棺が据えられている。家形石棺のうちでも新しいものとされ、蓋石は蒲鉾形に近く縄掛突起がない。棺身は長さ2.4m,幅1.16m,高さ0.82mを測る。未調査のため副葬品は明らかでない。
石室や家形石棺から古墳時代終末期の7世紀後半の築造と推定され、被葬者は明らかでないが、大王クラス,皇族を含めた有力氏族の墓と考えられる。
なお、付近には小谷東古墳(石室は未開口)があり、小谷古墳と小谷東古墳とを2基1対の双墓とする説もある。
【史跡規模】 |
【指 定】奈良県指定史跡(1975年3月31日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 飛鳥時代 |
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関連年号 | 7世紀後半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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巨 |
小谷古墳の石室(Wikipediaより転載)