岩屋山古墳
いわややまこふん(Iwayayama-Kofun Tumulus)
【K-NR102】探訪日:2022/7.2
奈良県高市郡明日香村越41
【MAP】
〔駐車場所〕
墳丘の西側は大きく破壊されているが、発掘調査によって本来は、1辺約45m前後,高さ12m規模の2段築成された方墳であることが明らかにされた。また、下段部は方形であるが、上段部は御廟野古墳(伝天智天皇陵),野口王墓古墳(伝天武天皇・持統天皇合葬陵)など飛鳥時代の大王墓に見られるような八角形に築いた八角墳ではないかとの指摘もある。
主体部は石室の用材にすべて花崗岩を使用した両袖式の横穴式石室で、内面には精巧な切石加工が施されている。各壁とも上段は内側へ傾いた構造で、天井石は大きな一枚岩からなる。羨道の側壁は奥半分は1段であるが、前半は2段積みとなっている。玄室の長さは4.9m,幅2.7m,高さ3m、羨道の長さは12m,幅1.9mである。奈良県から南河内にかけての地域には、本古墳の石室と平面,立面の規格が同一、あるいは同一の仕様で規模を縮小した古墳が複数存在する。
築造時期は古墳時代後期(終末期)の7世紀中葉前後と推測される。被葬者としては667(天智天皇6)年に越智岡上陵に葬られたとされる斉明天皇や吉備姫王などが候補として挙げられているが、詳細は定かではない。
【史跡規模】 |
【指 定】桜井市指定史跡(1968年5月11日指定) |
関連時代 | 古墳時代:後期 |
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関連年号 | 7世紀中葉前後 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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斉明天皇 | K305 | 吉備姫王 | K302 |
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲羨道(玄室方向)
▲玄室
▲玄室
▲玄室の天井
▲羨道(開口部方向)
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▲墳頂部
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