神武天皇畝傍山東北陵
じんむてんのう うねびやまのうしとらのすみのみささぎ(Unebiyama Ushitoranosumi Mausoleum of Emperor Jinmu)
【K-NR037】探訪日:2009/10.31
奈良県橿原市大久保町
【MAP】
〔駐車場所〕
宮内庁により日本の初代天皇とされる神武天皇の陵に治定されている。遺跡名は俗称「四条ミサンザイ」という。『日本書紀』,『古事記』によれば天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫とされ、東征の末、畝傍橿原宮に遷都して倭国を建国した人物とされる。ただし、初代としての神武天皇の実在は疑問視され、実在した可能性のある最初の天皇は崇神天皇という説、他にも応神天皇を初代天皇とする説がある。なお、『古事記』では寿命が137歳といわれるが、これは誇張もしくは年齢の数え方によるものと考えられる。
神武天皇陵が現在の位置に治定されたのは幕末の1863(文久3)年に宇都宮藩顧問団が中心となって検討され決定されたという。陵墓の候補地は現在地のほかに5ヶ所あり、特に畝傍山の丸山(高市郡洞村近く),四条村の福塚(塚山:現在の綏靖天皇陵)も有力であり、意見が分かれたが、最終的には顧問団筆頭の谷森善臣の推す現位置に治定された。さらには1940(昭和13)年の皇紀2600年にあたる年には、陵墓は『延喜式』に記された面積の10倍に大拡張されている。