キトラ古墳
きとらこふん(Kitora-Kofun Tumulus)
【K-NR036】探訪日:2009/10.31・2022/7.24
奈良県高市郡明日香村阿部山243
【MAP】
〔駐車場所〕
亀虎古墳とも表記される。小高い阿部山の南斜面に築かれた二段築成の円墳である。四神を描いた壁画があるなど高松塚古墳との類似点がある。
1983(昭和58)年、石室内の彩色壁画に玄武が発見され、1998(平成10)年の探査で青龍,白虎と天文図、2001(平成12)年には朱雀と十二支像が確認された。石室の考古学的調査は終了したため石室は2013(平成25)年に埋め戻されて墳丘の復元整備が行われている。
墳丘規模は上段が直径9.4m,高さ2.4m、テラス状の下段が直径13.8m,高さ0.90mを測り、内部構造は横口式石槨で天井は家形になっている。石槨は凝灰岩の切石を組み合わせて作られており、内部は幅約1m,長約2.6m,高さ約1.3m。 奥壁,側壁,天井の全面には漆喰が塗られ、その上に壁画がほどこされている。
壁画は東西南北の四壁の中央に四神の青龍,白虎,朱雀,玄武が描かれている。東壁の青龍と西壁の白虎は右向きであり、すなわち青龍は南壁の朱雀のほうを向いており、白虎は北壁の玄武のほうを向いているが、中国においては青龍も白虎もいずれも南壁の朱雀のほうを向いている。また、四神の下には各々3体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれていると想定されているが、発見されているのは、玄武の「子」,青龍の「寅」,白虎の「戌」,朱雀の「午」「巳」など6体に留まっている。天井には三重の円同心(内規・赤道・外規)と黄道、その内側には北斗七星などの星座が描かれ、傾斜部には西に月像、東に日像を配した本格的な天文図がある。この天文図は、現存するものでは東アジア最古の天文図になる。描かれている星の総数は、277個である。なお、壁画はカビなどの被害が発生したため剥ぎ取られて保存されることとなり、2010(平成22)年11月までに剥ぎ取り作業を完了した。
古墳の築造年代は壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られたと見られている。
被葬者については未だ判然としていない。年代などから、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られるが、出土品からみて高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていると推測される。具体的には、右大臣の阿倍御主人(阿部山が根拠のひとつ)、皇族では弓削皇子,高市皇子、そして百済から渡来した百済王昌成の名が挙げられている。
【史跡規模】 |
【指 定】国特別史跡(2000年11月24日指定) 【国 宝】キトラ古墳壁画 5面:東西南北壁及び天井(2019年7月23日指定) 【国重文】キトラ古墳出土品 ・金銀装帯執金具残欠 1点 ・金属製品 16点 ・琥珀玉 6点 ・ガラス製品 一括 (以下、附指定) ・金属製品残欠 6点 ・漆塗製品残欠 27点 ・金箔片 一括 ・石室石材残欠 1点 ・土師器 3点 |
関連時代 | 飛鳥時代 |
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関連年号 | 7世紀末~8世紀初め頃 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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阿倍御主人 | AB01 | 弓削皇子 | K307 | 高市皇子 | K310 |
百済王昌成 | QD01 |
飛鳥資料館で開催された2006年5月の「白虎」特別展示および2010年6月に行われた「青龍・白虎・朱雀・玄武」特別展示も見に行った。高松塚古墳壁画と同様に、本物を目にすることはやはり感慨深く、ずっと印象に残るものである。手の届くところにいる四神には今にも動き出しそうな躍動感を感じたのを覚えている。