高松塚古墳
たかまつづかこふん(Takamatsuzuka-Kofun Tumulus)
【K-NR019】探訪日:1994/7.3・2009/11.1・2022/7.24
奈良県高市郡明日香村平田444
【MAP】
〔駐車場所〕
藤原京期(694~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段),高さ5mの二段式の円墳である。
発見は、1970(昭和45)年10月頃に村人がショウガ貯蔵用の穴を掘ったところ、穴の奥に古い切石が見つかったことに始まる。1972(昭和47)年3月1日から発掘調査が開始され、3月21日に石室が検出されるとともに鮮やかに彩色された壁画が発見された。古墳は1973年4月23日に特別史跡、また極彩色壁画は、1974年4月17日に国宝に指定された。
古墳は鎌倉時代に盗掘を受けており、石室の南壁には盗掘孔が開けられていたが、壁画の彩色は鮮やかに残り、盗掘をまぬがれた副葬品の一部も検出された。
埋葬施設は横口式石槨で、石室(石槨)に安置されていた棺は、わずかに残存していた残片から漆塗り木棺であったことがわかった。石室は凝灰岩の切石を組み立てたもので、南側に墓道があり、南北方向に長い平面をもっている。石室の寸法は南北の長さが約2.65m,東西の幅が約1.03m,高さが約1.13mと狭小な空間である。出土品はこのほか、棺に使われていた金具類,銅釘,副葬品の大刀金具,海獣葡萄鏡,玉類(ガラス製,琥珀製)などがある。
被葬者については諸説あり特定されていないが、天武天皇の皇子説として忍壁皇子,高市皇子,弓削皇子らが挙られている。また、石上麻呂説、朝鮮半島系王族説(百済王禅光説,高句麗の王族説)を主張する研究者もいる。
壁画は石室の東壁,西壁,北壁(奥壁),天井の4面に存在し、切石の上に厚さ数mmの漆喰を塗った上に描かれている。壁画の題材は人物像,日月,四方四神および星辰(星座)である。四神は東壁に青龍、西壁に白虎、そして奥の北壁には玄武が描かれているが、南壁の朱雀は鎌倉時代の盗掘時に失われたと考えられている。西壁の女子群像は色彩鮮やかで、「飛鳥美人」のニックネームで親しまれている。男子,女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれている。天井画は、円形の金箔で星を表し、星と星の間を朱の線でつないで星座を表したものである。中央には北極五星と四鋪四星からなる紫微垣、その周囲には二十八宿を表す。これらは古代中国の思想に基づくもので、中央の紫微垣は天帝の居所を意味している。東西の日月は、日には金箔が、月には銀箔が貼られていた痕跡があった。壁画について、高句麗古墳の影響を受けていることが指摘されている。また、発掘後に次々と壁画の劣化が見つかり、最終的には国営飛鳥歴史公園内に建設した修理施設で修復が行われることになった。復元工事の様子は、2009(平成21)年から一般公開も行われ、2020(令和2)年3月26日、12年かけた壁画の修復が終わった。
墳丘も2009年に築造当初の形状に仮整備され、一般に公開されている。
【史跡規模】 |
【指 定】特別史跡(1973年4月23日指定) 【国 宝】高松塚古墳壁画 4面(1974年4月17日指定) 【国重文】高松塚古墳出土品 ・棺関係遺物 (金銅製透飾金具 1箇/金銅製円形飾金具 6箇/金銅製六花文座金具 2箇 銅製座金具 6箇/銅製角釘 一括/漆塗木棺破片 一括) ・銀荘唐様大刀金具類 9箇 ・海獣葡萄鏡 1面 ・玉類 (ガラス製粟玉 936箇/ガラス製丸玉 6箇/琥珀製丸玉 2箇) 附:土器類(土師器,須恵器.瓦器等)一括 |
関連時代 | 飛鳥時代 |
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関連年号 | 694~710年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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忍壁皇子 | K311 | 高市皇子 | K310 | 弓削皇子 | K307 |
石上麻呂 | MB06 | 百済王禅光 | **** |
2009年10月24日から一般公開された壁画復元作業の見学会に応募し、くじ運の悪い私だが当選し10月031日に早速参加した。窓ガラス越しではあったが、そこに1300年前の壁画の実物が存在するという感動はいまでも忘れない。実作業は見ることはできなかったが、科学と技巧で進められる作業の緊張感も伝わってきた。
高松塚古墳壁画(パンフレット及び文化庁データより引用)