与楽乾城古墳

ようらくかんじょこふん(Yorakukanjo-Kofun Tumulus)

【K-NR117】探訪日:2022/7.24

【K-NR117】与楽乾城古墳 奈良県高市郡高取町与楽

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-NR117】与楽乾城古墳

   与楽カンジョ古墳と記されるケースが多い。貝吹山南麓の周辺丘陵に約100基の古墳が分布する与楽古墳群の1つである。。丘陵尾根上に北から南に並ぶ寺崎白壁塚古墳,与楽鑵子塚古墳,与楽カンジョ古墳は国の史跡に指定されている。
 与楽カンジョ古墳は一辺36m,高さ10mを測る二段築成の方墳で、主体部の埋葬施設は両袖式の横穴式石室で南方向に開口する。閃緑岩の巨石が使用された石室全長11.8mを測る大型石室であり(玄室:長さ6.0m,幅3.8m,高さ5.3m、羨道:長さ5.8m,幅1.8m,高さ1.8m)、天井はドーム状を呈し、特に石室高さは5.3mと非常に高く、真弓鑵子塚古墳などと並び奈良県内では最大規模になる。天井石は巨石1枚、玄室床面は礫敷であり、玄室の中央には漆喰の塗られた棺台が据えられている。石室内の副葬品としては金銅製耳環,銀製指輪,不明鉄製品,砥石,須恵器,土師器(ミニチュア土器把手含)等が検出されている。
 築造時期は古墳時代後期から終末期の6世紀末葉~7世紀前半頃と推定され、8世紀初頭頃までの追葬も認められる。被葬者としては、ミニチュア炊飯土器の出土やドーム状石室の点から渡来系氏族と想定され、特に東漢氏一族とする説が有力である。与楽鑵子塚古墳,寺崎白壁塚古墳も同様である。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(2013年3月27日指定)

            与楽古墳群(与楽鑵子塚古墳・与楽乾城古墳・寺崎白壁塚古墳)として指

【国 宝】

【国重文】

関連時代 古墳時代:後期
関連年号 6世紀末葉~7世紀前半頃・8世紀初頭
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
東漢氏 YA**

 

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【K-NR117】与楽乾城古墳

【K-NR117】与楽乾城古墳 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

南からの全景 東から見る 北東から見る 墳頂 墳頂 開口部 玄室床面は礫敷 天井はドーム状