応神天皇軽島豊明宮跡
おうじんてんのう かるしまのとよあきらのみやあと (Karushima-toyoakira Palace Ruins of Emperor Ojin)
【P-NR016】探訪日:2022/7/2
奈良県橿原市大軽町374
【MAP】
〔駐車場所〕
『古事記』に基づき、第15代・応神天皇の皇居として比定されている。『日本書紀』では即位後の遷都記事がなく、摂政であった母の神功皇后の磐余若桜宮をそのまま使っていたことになる。
応神天皇は、神功皇后の三韓征伐の帰途に筑紫の宇瀰または蚊田で生まれ、神功皇后が崩御した翌年に即位したとされる。在位中には様々な渡来人が来朝し、彼らを用いて国家を発展させた。名のある渡来人には弓月君,阿直岐,王仁,阿知使主などがいる。宇治,吉野,吉備そして難波の大隅宮へ行幸し、大隅宮で崩御したとする説もある。宝算(年齢)は『日本書紀』では111歳、『古事記』では130歳。陵は恵我藻伏崗陵、宮内庁により「誉田御廟山古墳」に治定されている。
なお、実在性については確定されてはいないが、4世紀後半から5世紀初頭に実在した最初の天皇の可能性が高いと見られている(宝算はともかく)。ただ、一方では第26代・継体天皇へとつなげるための布石(継体天皇は応神天皇の5世孫)としての架空の天皇であると実在性を否定する見方もある。
なお、『宋書』,『梁書』に見える倭の五王の「讃」に比定する説がある(ほかに仁徳天皇や履中天皇を比定する説もある)。