日本武尊琴弾原白鳥陵
やまとたけるのみこと ことひきのはらしらとりのみささぎ(Kotohikinohara-shiratori Mausoleum of Prince Yamato Takeru)
【K-NR088】探訪日:2018/10.29
奈良県御所市冨田
【MAP】
〔駐車場所〕
宮内庁により第12代・景行天皇の皇子である日本武尊の陵に治定されている。単に日本武尊白鳥陵とも呼ばれる。日本武尊は東征ののち、伊勢国能褒野で薨じ能褒野墓(能褒野王塚古墳)に葬られるが、『日本書紀』によれば、日本武尊は能褒野から白鳥となって西へ飛び、ここ大和国琴弾原に降り留まったため陵が造られた。白鳥はさらに飛び立ち河内国旧市邑(大阪府羽曳野市)に舞い降りたため、その地にも陵が造られた(軽里大塚古墳)。その後、白鳥は天高く飛び去ったという。この3ヶ所は「白鳥の三陵」とも呼ばれている。
なお、皇子の墓に「陵」を用いているのは日本武尊のみである。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 伝承の時代(古墳時代:前期) |
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関連年号 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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日本武尊 | K105 |
日本武尊の征西,東征および最期については「古墳時代」を参照。
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