用明天皇磐余池辺双槻宮伝承地(石寸山口神社)
ようめいてんのう いわれのいけのべのなみつきのみや でんしょうち(いわれやまぐちじんじゃ)
(Iware-ikenobe-namitsuki Traditional Palace Ruins of Emperor Yomei [Iwareyamaguchi Shrine])
【P-NR023】探訪日:2022/6/13
奈良県桜井市谷502
【MAP】
〔駐車場所〕
585(敏達天皇14)年、第31代・用明天皇は兄の敏達天皇崩御を受け即位し、『日本書紀』によれば5世紀前半に履中天皇が造った磐余池のほとりに宮を建設したという。ここ石寸山口神社は『大和誌』に「双槻神社」と呼ばれていたこともあり、磐余池辺双槻宮跡の伝承地とされる。
しかし、2011(平成23)年、天香久山から北東に数100mの位置(橿原市東池尻町221)に古代の堤跡とその堤上の大型建物跡が発見され、そちらが磐余池辺双槻宮である可能性が高いともいわれている。
用明天皇は王朝において仏教を公認し、後の仏教隆盛の礎をつくったが、疱瘡のため在位2年足らずの587(用明天皇2)年4月に崩御し磐余池上陵に葬られたのち、593(推古天皇元)年9月に河内磯長原陵に改葬された。